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キティ&シナモロール ジュエリーキャライト

2007/ 02/ 03
                 
ジュエリーキャライト ハローキティ水曜日、夫は午前中、歌の会でございました。主宰している方や、参加している方からなにかといただきものをするのですが(ありがとうございます)今回のひとつは、こちら。ハローキティのジュエリーキャライト。もうひとつ、シナモロールのも。
うしろにスイッチがあって、ONにすると透明な部分が光るのです。

            

「2005年クリスマス ジュエリーハートキャンペーン」と書かれておりました。歌の会の参加者で、お嬢様がサンリオにお勤めになっている方から頂いたようです。
ピンクのキティちゃん、そしてシナモロールも、さらにそれが光る!…娘はもちろん狂喜乱舞でございます。

ジュエリーキャライト 点灯中そしてふと見ると、床にしゃがみこんでいる。
な、なにしてるの?!


…暗いところで光るのを楽しんでいたようでございます…。


ジュエリーキャライト ハローキティとシナモロールシナモロールは水色。


シナモロールを私が知ったのはごくごく最近ですが(音楽教室で子どもに接していたときも、たぶんまだなかった)キティちゃんは1974年生まれらしい。昔はもう小学校中学年ぐらいになると、キティちゃんは「もっと小さい子が使う者」というイメージでしたが、いつからかおとなの方が夢中になってません? 再ブームのきっかけがあったのかな?
ちと調べてみました。
1977年、1985年、そして今みたいにドッカーンときたのは1996年…華原朋美がキティちゃん好き発言をしたからとかなんとかみたい。

77年といえば私は幼稚園児。キティちゃんグッズ、持ってましたね~。自分で買ったわけではないし、母もたぶんあえてキティちゃんを選んで買うことはなかったと思いますので、たぶんいただきものとかで。
現在わが家にあるキティちゃんはピンクばっかりですが、最近ってそうなんですか? 耳にはリボンでなく花がついていたり。私のときは、青いシャツに赤のつなぎのパンツだった気がしますが。
でもどちらかというと、私はパティ&ジミー派だったと思う。
もう少し大きくなってからはキキとララとか(最近、娘が「キキとララ」と連呼する。今でもあるんですか?←リトルツインスターズというらしい)。マイメロディーとか(なんか、悪魔みたいなマイメロディーを見ましたよ。ちらっとどこかで聞きましたが、ライバル役とかなんですか?)。風の子さっちゃんとか(あったよね?!←タイニーポエムというらしい)。

そして85年といえば、たぶん私はサンリオ製品のショップであるギフトゲートで、文房具やら買っていたと思います。でもキティちゃんは「え~っ、まだあるの?! なつかしい~」というイメージだったような。はやりすたりはあったものの、キティグッズが消えることはなかったようですけどね。
私のギフトゲートでのお目当ては、スヌーピーでございました(今でも好きです! もうグッズを買い集めることはありませんが、原作のコミックをたくさん持っています)。

ちなみにハローキティ誕生のきっかけは、このスヌーピーらしいですよ。
スヌーピー製品もサンリオが販売していますが、それに対抗して猫キャラクターを出したようです。なので、ハローキティは日本版スヌーピーというわけでございます。

80年代の私のサンリオは、スヌーピーの他には…ザシキブタとか。初めて見たときは、なんてかわいいんだろうと思った記憶が。あと、マロンクリームとか。ゴロ・ピカ・ドンとか。ボードビルデュオとか(←今、名前知った。実は)。
そうそう、友達からもらったみんなのたあ坊の暑中見舞いハガキ、ギラギラ光る太陽と、目を回しているたあ坊の絵で、「太陽のパカ」とか書いてあって笑けたなあ。


サンリオの公式サイト
キャラクターも全部載っています。なつかし~。



ところでサンリオといえば。個人的な思い出が。

あれは…小学校2年生のころでしたでしょうか。うん、2年生だ、たしか。もう名前も忘れてしまいましたので、まあAちゃんとでもしておきましょう…クラスメイトにAちゃんという女の子がいました。転校生だったかもしれない(私自身、1年生の夏に入った転校生だったんだけど)。成績がよくて、色が白くてキリッとした美人顔で、見るからに賢い感じのAちゃんの話なんですが…。
そのときの担任の先生が産休になって、新しく来た先生は若くてきれいなんだけど厳しいときはビシッと厳しく、よく男の子がお尻を定規でビシバシ叩かれてた。でもってその先生は、手を挙げるときはまっすぐ!という話もよく言っていた。Aちゃんがす~んごい良い姿勢で椅子にすわり、指の先までピシーッと伸ばして手を挙げていた姿が、記憶に残っております。
…という感じで、まさにAちゃんは優等生タイプなのであった。

で、ある日。
Aちゃんともう一人Bちゃんと私の三人で、私の家で遊んでいた。2階にある子ども部屋の、机の前の窓が通りに向いていて、そのときは、二人がその通りに出て残りの一人が部屋に残り、窓越しに話をする(?)という遊びをしていた。
私とBちゃんが外に出て、Aちゃんが窓から顔をのぞかせ…そして、はい、次交代ね~と、Aちゃんが外に出てきたら。彼女のジャンパースカートの中から、紙の束がバサバサバサーッ。見ると、私が描いた絵やらなんやらだった。
「?」の顔になっている私に、Aちゃんが、「これ、前にもらったやつだよ~」と…。

今考えると、なんでそんなのがおなかから出てくるんじゃ、なんだけど、そのときの私は「あ、そう」で終わったのであった。なんかおかしいな、とは思ったけど…だからこそ、まだ覚えてるんだろうしね。
当時私は、自分の机の引き出しの一つを、紙入れにしておりました。まだ白紙のもの、そして絵を描いた紙をその引き出しに全部入れていたのです。たぶんね~、そこにあったものじゃないかなあ…。
おそらくその他いろいろ、「『なんかちょっとAちゃんって裏の顔が』ギワク」は浮上していたんだろうなあと思う。今思えば。

その紙の束事件のあとだったか前だったか覚えていませんが…いや、たぶんあと。
こんどは私がAちゃんの家に遊びに行った。
なんとなく勝手な想像で、お金持ちで豪邸に住んでるんだろうなというイメージだったAちゃんのおうちは、平屋のちっちゃ~いおうちだった。でも妹だか弟だか、かわいい赤ちゃんがいて(たしか)、きれいなお母さんがいて(たしか)、やっぱりAちゃんらしかったんだけど、想像とまったく違っていたのでちとビックリしたのだった。
そしておいとまするとき、大量のサンリオグッズをいただいたのです。きっとお父さんが、サンリオの社員さんだったのではないでしょうか。

あの校区は新興住宅地だったけど、まあまだ、昔ながらの平屋の家も珍しくなかった。公団だか社宅だったんだろうな。で、一時的に住んでた家だったんだろうな。ほどなく、Aちゃんは転校しました。
しばらくは手紙のやりとりぐらいはしてたかな? でももう名前も覚えてませんから…。

いちご歌の会の主宰者Fさんからは、こんなに立派ないちごを大量に!
ありがとうございます。

            
                                  

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