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Starman
2016/ 01/ 1369歳になったばかりだった。そもそも若い頃の健康状態(?)からすれば、長生きできるような人じゃないよなーと思っていた。前に心臓か何かの手術をしたというのも聞いた気がするし、リアリティーツアーは体調のせいで3月に「延びた」のではなかったっけ?(私は、はじめは出産直後でそれどころではなく、そして3月になったのはずっとあとに知ったような…)
でもねー、亡くなるなんて考えられなかった。というか考えたくなかったというか、年齢的にはおじいちゃんだけど、やってることが若いというか、昔の人ではなくて最先端。てか、人間じゃない?!
あーあーあー…。これほど「次はどんなことするんだろう?!」ってワクワク楽しみなアーティストはいなかったのに…って、それは私が彼の曲が好きだから、そう思うんだろうけど。誰だって好きなアーティストの新作は楽しみですもんね。
とはいえ、いろんな有名人がTwitterやFacebookでコメントを出してて…たぶん、本国イギリスでは誰もが知ってるような存在なんだろうけど、日本でも当日のNHKニュースやYahooニュースのトップの写真記事で取り上げられていて、驚いた。私は自分がマニアックだと思ってたんだが。だって、彼の曲といったらあれでしょって歌える人、普通あんまりいないと思うんだけど。
だから、ニュースのコメントで「知らないんだけど、そんなにすごい人なの?」って書いた人に対して、そうでしょうそうでしょう、正直でよろし、と思った(でも知らないならコメント入れなくていいのにね…)。
日本人だったら…戦メリとかで知られているんだろうか? たまーにCMで曲が流れていたこともないことはない(というか、出ていたこともある)…かくいう私は、CMソングが出会いだった。
小5か6のときだったと思う。ノエビア化粧品のCM。
(あのときの映像が見られるなんて、YouTubeすごい!!)
当時、日本の歌謡曲しか知らなかったから、なんてかっこいい曲なのー!とひと「聞き」惚れ。「歌・デビッド・ボウイ」というテロップを頭に焼きつけて、出掛ける先にレコードショップがあれば探してみて「ほー、この人か」とチェック(デビッド・シルビアン、ジョージ・ボーイなどが混ざっていたりもしたもんだった)。
とはいえまだレコードを「買う」というところまでは行き着かず、あのメロディーと名前だけを心に留めて、あっというまに高校生になっちゃったある日、新聞で名前を発見。ティン・マシーン結成の記事であった。
あー! この人! あの曲の人だー!
その頃には、世の中にCDというものが出回り、私もお小遣いで買えるぐらいの年頃になっていたので、あの曲を探すことに。
小5ぐらいのときだから、「レッツ・ダンス」…入ってない。「ネヴァーレットミーダウン」…入ってない。あれー?
加えて、昔のレコードが「スペースオデティ」から順番にCD化されていったのでそれも買っていって、正解の「トゥナイト」に行き着いたのはけっこうあとのほうだったかも…。
そういえば、何かのラジオ番組で「スターマン」が流れて…いや、弟のFM雑誌でチェックさせてもらって、流れると分かっていたから聴いたんだったか…テープ(!)に録音して、お宝だったなあ。
FM三重で日曜のお昼にやっていた「ヴィンテージポップス」という番組が、毎月一人のアーティストのベスト盤を流すような番組で、でびぼ様だったときはすごく役立った。今も、録音テープがあるはず。
あと、津の市立図書館には、でびぼ様本が何冊かあって、借りて読んでいたもんだった。
それから古本屋さんで、洋楽雑誌のバックナンバーを買ったり。えーと、なんだっけ…ポップギア!
リアルタイムで買ったのは、ロッキングオン、CUT、レコードコレクターズとか。
そうなると他のアーティスト情報も得られるわけで、興味が出た曲をFMでチェックしたり、CDレンタルしたりして聴いていた。
それまでの集大成&昔の曲は今後もうやらないという「サウンド&ビジョンツアー」があったのは、高3のときだっただろうか。
まだチケットを買ってコンサートに行く、というところまではできなかった。受験生だったから? 東京ドームだったから?かな? 名古屋にもきたっけ? レッスンを受けに上京していたから、かなり心動いたんだけど。
そのときロッキングオンのプレゼントに応募して、ツアーの小冊子をもらったような気がする。東芝EMIが出してるのとかだったと思うが。
大学生になって、都内の大きなCDショップにいけるようになってからは、CD化されたアルバムをコンプリートしたのはもちろん、1曲提供したサントラとかも探したりした。「ピーターと狼」も入手。
…と、なんかいろいろ出てきて懐かしゅうございます。他にも好きなものはいろいろあったし、なによりも、勉強は?!と突っ込みたくなるが。
とりあえず、こういうのが「私の青春だった」とでもいうのだろうか。若気のいたり、も?
でも彼は過去の人じゃなかったし、これからの活動を期待していたわけなんだが…いなくなっちゃっちゃね…ううう。
結局、生で見たのは、ティンマシーンとアウトサイドツアーの2本。
リアリティーツアーを逃してしまったのは、ほんっと悔やまれる。しょうがなかったんだが、本当に本当に残念だ。あと一回はステージ見たかったなあ。
…ダラダラ書いてしまったが、こう考えると、まずはテレビを見ていたから出会えたということになる。
そして、お小遣いをもらっていたから、CDや雑誌を買えた。もちろん、そういうお店に行きたいときに行けたから、というのもある。バックナンバーをとりよせたり、懸賞に応募するのに、郵便局に行く、ということもできた。
レンタルショップは、自分で会員になったのだろうか? …なったってことよねえ。たしか、高校のある駅のほうのお店だったと思う。図書館でカード作ったのも。
中3のときに家のラジカセを譲ってもらい、そのうちCDラジカセを買ったから、音楽が聴けた。
そういう環境というか、自由にできるお金と時間が与えられていたということになる。ありがたいことである。親としてはもっと他の使い道を望んでいたかもしれないけれど…(ごめんなさい)。
さて、私は娘に、そういう環境をつくってやっているか。興味をもったものを探究できるようにしているか。いや、その前に、興味をもつものを選べるようにアンテナを張れる環境をつくってやっているか?
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